BLOG by Members
0520

日のながい五月になれば、

遥かなる小鳥の歌のこころよく

かの地より こうして遠くはなれては・・・

ジョフレ・リュデルの「カンソ」の始まりのような日。

 

エネルギーを補充するためカメラを持って山へ向かえば、さっそくブルーバードが出迎えてくれる、青と緑の世界。

いい季節になってきた。

 

一歩外へ出れば、予期せぬ出会いや新しい発見が待ち受けている。体感すること、体験することから始まる。

 

喉が乾いていれば、水は体の中にどんどん入っていくが、乾いていなければもう入らない、無理となる。

水と同じように、仕事も「渇望している状態」を作っているかどうか。

0509

先日のイチロー対大谷翔平の対決が幻となって本当に残念だった。今回の対決をシアトルに日帰りで見に行けるプランがあったのでGWの家族サービスも一旦差し置いて単独で行こうと思い、GW前にH.I.Sに駆け込んだが、費用が当初想定の倍以上かかると知り、またGW明けも仕事を休まなければ行けないスケジュールだったので断念したところだった。今後、練習でもいいからイチローを生で一度は見ておきたいと思っている。

なんだろうか、スーパースターや超一流選手は、それぞれ自分のスタイルを持っている。イチローだったら「振り子打法(現在進化系)」、大谷翔平だったら「二刀流」、野茂だったら「トルネード投法」、王だったら「一本足打法」、落合だったら「神主打法」、松井秀喜だったら、んー、「ゴジラ(笑)」。

”バットを振る”、”ボールを投げる” という極めて単純な行為に対して、独自のスタイルを確立している。でも、それらの打法や投法を身につけたから一流になれたのではなく、自分にしかない活かし方を突き詰め、Try&Errorを繰り返した結果だということ。イチローが大谷のマネをしても、うまくいかないし、落合が野茂のマネをしてもうまくいかない(それはそれで見てみたい)

 

何を言いたいか。

 

この単純な行為でさえ、様々な独自スタイルがあるのだから、自分たちの仕事シーンに置き換えてみると、もっと独自スタイルの在り方を生み出せる可能性が無限大にあるんじゃないかということ。

人で例えれば、

売ること・作ること・つなぐこと・考えること・直すこと・書くこと、、、が得意な人。書くことだったら、絵を描くことなのか、字を書くことなのか、、、。字だったら、エッセイなのか、小説なのか、ツイートなのか、キャッチコピーなのか、、、。何を対象にするか、誰に向けてか、メッセージ性は強めか、緩めか固めか、、、。

会社だったら、それらの特性を持った人の集まりに、事業内容、市場ポジション、設備や専門能力などの要素が複合的に絡み合っていて、そこから独自のスタイルを確立していくことになる。これらを紐解き、整理していく行為は、ブランディングにおいても重要な部分だと思っている。

こういった部分から特性が明確となって”思考がクリアな状態”までいけば、後は日々のTry&Errorを繰り返して積み上げていくことになる。野球で言えば日々の練習で正しく調整を図り、より良い状態へ持っていく作業。この状態を「良いコンフォートゾーン」と勝手に名付ける(正しい方向に点を打ち続けられる状態にあること)。逆に「悪いコンフォートゾーン」は、複雑なしがらみや状況もそのままに、挑戦や成長することをやめてちょっとした居心地が良い状態に寄りかかること。

そう考えば、企業ブランディングでの重要な要素は「良いコンフォートゾーンへポジショニングされる状態」とも考えられる。そのポジションもマウントポジションを取れるように徐々に持っていく感じか。

 

BRESTで例えるなら「SHITSURAI -メディカルブランディングプロデュース-」を創業期にローンチした時も、普通にやっていても最初は1人だし、経験もないから市場で勝ち目がないと。その危機感から他にはない特性は一体何なのかを突き詰めた結果、医業経営のコンサル業務に前職時代携わっていたことに行き着き、試行錯誤しながら形を作っていった経緯もある。余談だが医療におけるブランディングでは、「医療法における病院等の広告規制」が関わってくる。つい先日、厚生労働省が医療機関のウェブサイトも広告規制の対象とみなす旨の発表があった。いよいよウェブにも規制が及んできたなという感じで、早速関東圏の医療機関から、その対策相談の連絡が入ってきている。日々、状況や環境も変わっていくので、その対応もしっかりしていきたいと思うところ。

 

話がとっ散らかってきたので、結局何が言いたいかというと、

イチローを生で見たい! もそうですが、

これからも「企業が抱える課題に向き合って、形にしていくこと、笑顔につなげていくこと」が自分たちにできる仕事だと思っています。

 

最後に、

ブランディング支援させていただいている「奏の杜整形外科(かなでのもり)」さんが5月7日に千葉県の津田沼で無事開業されました。これまで順天堂大学病院で実績を積まれ、惜しまれつつも満を持して開業された大沢先生もスタッフも素敵なクリニックです。

Photographer:Jiro Hirayama

Hair Make:Yuzuru miyazawa

0507

先日、あるピザ屋に入った。客席はランチ時間の休日ということもあり、観光客や女性客で満席である。お店は新店。1,500円という一般的な価格帯で一体どんなピザで出てくるのだろう。店内は、まだオペレーションに慣れていない感じが席に着くまでの数秒で感じられる。

 

前菜のサラダ。素材やボリュームもドレッシングソースも悪くないが、ポーションも至って可もなく不可もなくの普通。

メインのピザ。生地、具、焼きたて感も悪くなく普通に美味しいが、味もホールサイズも至って普通。

セットのドリンク。アイスティーは、市販の安いものかと感じさせる。

終了。

なんの感動もない。

 

別に店の雰囲気も悪くないが、この何とも言えない普通感がお店を出た後に不満となっていく。なんならもう一軒行こうかと思う物足りなさ。それは量の問題でもなく。そして、また行きたいとはならない。もう行かないだろう。

 

客の対応で一杯一杯になり、「喜んでもらいたい!」「笑顔になって帰ってもらいたい!」といった感じは伝わらずに、お店を回すこと、コナスことで精一杯。せっかくのOPEN時の絶好のタイミングに。何をしたくてこのお店を出したのだろうとさえ感じてしまう。そして、提供する側は、それで楽しいのだろうかと、余計なことまで考えてしまう。

 

ただ、決して悪意があるわけでなく、依頼者と受注者の間に、「盲目ポイント」があるのでなないかと思う。その「盲目ポイント」に気づかずに商売をしていたら、ある時、サーッとお客様が引いてしまう。だから「お客様目線」が大事だという言葉がある。そういう意味でも飲食店は、普段感じられる生の勉強の場である。

 

あまりネガティブな内容は書かないようにしているが、この感覚はとても重要で自らにも言い聞かせておきたいと思ったので書き留めておくことにした。

 

こう書いていると、「ペルケ」のピザが食べたくなってきた。

そして、「東山和今」にも早く行きたい!

 

※写真は文章と関係ありません。

0405

BREST_ポートフォリオページが立ち上がりました。

BREST PORTFOLIO

画像のエッジやクオリティは甘いですが、感覚で見てもらえるとありがたいです。

次いつ更新されるかわかりませんが、たまーに見に来ていただけたらと。

 

Ludovico Einaudi – Nuvole Bianche を聴きながら。

 

0220

親父は納豆屋だった。僕が中学生から高校になるくらいだったろうか、勤めていた納豆屋を辞め、食品卸の事業を創業した。同時に「金沢納豆」という自社ブランドを立ち上げ、黒豆納豆など新たな分野に挑戦していたことが記憶に新しい。しかし、納豆は1パック100円前後で売られている。粗利といっても10円に満たない数円の世界。数年して、納豆事業を縮小し、天然塩事業に転換したことは、粗利益率も大きく影響していると後に知った。またパッケージに載せるキャッチコピーを書かないかと言われ手伝ったりもした。それは、過去の記憶を度々忘れる僕も、はっきり記憶しているところだ。

その頃、僕は20歳前後。とある週末、親戚の結婚式に行った帰りのエレベータ内で親戚の叔父さんと一緒になった。聞けば、全国に飲食事業を展開して、1ヶ月の家賃は1店舗で2,000万円以上払っているのだと言う。まるで違う世界にいる人が近くにいる。この事実は、大学生の僕にとって衝撃だった。そして、僕にこう言った「お前も早くこっちに来い」と。その時はまだその意味をしっかり理解していなかったかもしれない。

しばらくして、僕は就職活動の時期を迎えた。超就職氷河期と言われた真っ只中。学生指導課の担当からは、リクナビ、マイナビ、アイバック(当時の求人ポータル)に登録し、面接に伺うことはもちろん、100社エントリーして1社決まればいいという、今では考えられないことを全学生に向けて発信している時代だった。そんな中、僕は実家に帰ると1冊の本が居間のコタツの横に転がっているのを見つけた。そのタイトルは「人と違うことをやれ!」。当時、「朝まで生テレビ」など一線で活躍していた堀紘一の著書だった。親父が読みかけか読み終わったかという状態で放置されていた。当時の僕にとってその本は衝撃であり、刺激的であった。今となって振り返ればだが、僕は小学生の頃から「右へならえで落ち着かない」性格だったと思う。集団行動も得意なほうではなかった。だからなのか、その言葉一つ一つが全身に浸透してきた。そして、当時聞いていた音楽がDragon Ash。今で言うところの、ONE OK ROCKか。金沢にライブがあるということで友達と行くと、ステージの上で輝く降谷建志がたまらなくカッコよかった。同時にある種の疑問を持った。反対側で僕は手を叩いているという事実に。それから間もなくしてだった。車のトランクにYAMAHAのアコースティックギターを積み込んで金沢駅に向かったのは。駅で弾き語りを始めた。初めはドキドキだったが、いつしか一緒に演奏する仲間が増え、お客さんも集まるようになった。同時に、警備員からの撤収命令も日常的だった。小さくても主役になれるステージが欲しかった。とんねるずの「情けねえ」の歌詞にある「人生の傍観者たちを俺は許さないだろう」が、心の深いところで流れていたかのように。

その流れか、大学の同級生で野球チームを結成し、結果20人ほどに増え、社会人になってからもナイター連盟に加入して続いたことも、僕の人生においてとても貴重な出来事のひとつだ。僭越ながら器量にもなくチームの代表兼監督をさせていただき、ネーミングからユニフォームのデザイン、ステッカーやTシャツなどのグッズデザイン、また対戦相手やグランドとの事前交渉、スタメンオーダーなどを行っていたことは、現在の仕事に結びついており、今振り返ると、点と点が繋がっているのだと感慨深い。

大学卒業を迎える22歳、就職せずに事業を始めることも考えた。しかし、何屋になるかが見えなかったし、分からなかった。そこで、いろんな事業を見れる会社に就職しようと思い、金沢の税理士業務を主とした独立系経営コンサルの会社に魅力を感じ入社させていただいた。そこでの経験は、今のブランディング事業の礎であることは言うまでもない。入社2年目で上場企業の社長直轄で様々なスキーム立案や医療分野における財務戦略、また経営革新業務に携わらせていただいたことは感謝以外の何ものでもない。

やがて、時は29歳。その間、あらゆる資格に挑戦したが、僕の頭はどうも士業に向いていないことだけはハッキリした。朝4時に起きて勉強しても結果のひとつも出やしない。そうこうしているうちに、映画館で高校の友人とバッタリ会った際に彼は税理士になったと知り、絶望的だった。しかし、仕事は大変ながらに楽しかった。そんな中、本当の意味で企業の未来への成長戦略に貢献しきれていないというジレンマも感じていた。もっと、こんなHPにして、こんなデザイナーが入って、こう打ち出したら伸びるのにという想いをカタチにしたいと感じ始めていた。それから、しばらくして、BRESTを創業した。そして、良い仲間に恵まれた。

創業時からBRESTのロゴの右下には、「Branding」と書かれている。何も無かったが、勢いと自信だけはなぜかあった。「時代と社会が僕を求めているので会社を辞めることは仕方ないんです」と前職時代の最後の朝礼で言ったことは、独立後「さほど求められていなかった」というネタに変わった。

それから、10年が経とうとしている。その間、ここでは書ききれないほど大切な方々との出会いと一生かけてもお返ししたい恩があって今がある。そして、当時の上場企業の社長から10年目にして声をかけていただき、お仕事させていただくとは、24歳の当時からは夢想だにしない。ここでも点と点が繋がっていると、不思議なものだ。

今、またこれから新たな展開と挑戦の日々が続いている。先はわからないが、どうやら今というその時その時を真剣にやっていることに意味があるということだけは確かなようだ。

1 / 8212345...102030...最後 »

PAGE TOP